雑談はコーヒーと共に

ダラっと好きな事について語り合いましょう、コーヒーでも飲みながら。

帰国子女が3.11を振り返る

今回は私の経験した3.11について話そうと思います。自分が震災を忘れないためにも、書いておこうと思いました。被災地にはいなくて、ボリビアにいた時の話です。被災者ではなくほぼ外部から見た視点になりますが興味があればどうぞ。私の政治的思想も多少混ざるし、内容的に投稿するのが適切か分からなかったので11日ぴったりに出すことはできませんでした。違う意見を持っていても広い心で読んでくださると幸いです。

テレビを通して見る3.11

外国でもNHKって見る手段はあるようでして、私はよくわかってないのですが、NHKの番組は普通にテレビで見ていました。どうも日本に合わせた放送時間のようで、朝ドラは時差の関係で夜に放送されていました。日本とは真逆で、夕食を食べながら家族で見るドラマになっていました。私からしたら夜ドラです。

3月11日14時46分にあの地震が起きました。詳しい状況は覚えていませんが、家族の誰かが「日本で大きな地震が発生したらしい」と言って初めて状況を知り、テレビを付けたら疲れた顔で喋り続けているニュースキャスターが地震速報と共に映っていました。しかも定期的に鳴る余震の警報。日本はもっと悲惨で怖い状況に陥っており、比較したら私が感じた恐怖は大したことないものでしょう。それでも、不安でずっとテレビを見続けて、あの警報音を耳に焼き付くくらい聞いたのを覚えています。

外国の学校を通して見る3.11

不安な空気に包まれたまま学校に行きます。ボリビア日系人は結構いるのですが、私の学校はインター校で日系人の移住地とは離れており、その学校で日本人は私と姉くらいでした(一応、クォーターくらいの日系人はいましたが、日本語はほとんど喋れない家庭でした)。みんな「日本で大変なことが起きてるね」「家族は大丈夫?」と心配してくれたと思います。とは書きつつ、あまり覚えてはいません。気を遣ってくれていたのはまだ中学生くらいの私でしたが感じ取っていました。

授業はもちろん行われました。地球の反対側なので、こちらは日常が続いていました。でも世界のニュースは日本の大地震の報道でもちろん埋め尽くされていました。ボリビアのニュースももちろんずっと地震について報道していました。ある先生が「授業してないでクラス全員でニュースを見よう」と言ってくれて、テレビのある教室で地震の報道を見ました。化学の先生でしたが、確か地震のメカニズムについて学んだばかりなので、地震や余震を授業と関連づけつつ日本の状況を説明してくれました。不謹慎に聞こえるかもしれませんが、本人なりに気を遣いながら、たとえば報道されるマグニチュードの強さについて「どれくらい強いか授業で習ったよね」というふうに説明してくれたので私としては悪い思いはしませんでした。

一番印象的だった光景

その時に凄い印象的だったのが、見ているニュースに「原子力発電所は正常に緊急停止した、と発表されている」といった感じのことが書かれていたことです。同時に映っているのは東北の海岸に大きな津波が到達し、船や街を飲み込んでいる映像。そこで先生がぼそっと言います。「日本は科学が発展している上に地震大国だから地震対策がとてもしっかりしている。こんな大きな地震が起きたのに原子力発電所を問題なく制御できているのは日本の技術力が高いからだ。」と(もちろん英語で)説明していました。その説明は、それまでの情報から判断すると決して間違っていないのですが、それを聞きながら津波の映像を見ていた僕は(本当に大丈夫か?)という疑問しかありませんでした。だって、発電所があの津波に飲み込まれたとしたら安心できるわけがない、と何となく直感していました。

そして案の定、どのタイミングかは詳しく覚えていませんが、福島第一原子力発電所の天井が爆風でふっとぶ映像が報道されました。そしてメルトダウン放射能の漏洩です。誰もが起きないだろうと考えていた(否、必死に信じ込んでいた)最悪の事態が発生します。放射能がこちらまで飛んでくる心配はあまりありませんでしたが(とはいえどこどこで放射能が検出されただの、ずっと気にされてはいました)、もう学校関係の人たちは日本人である私にかける言葉が見つからないようでした。日本は技術大国ではなかったのか。あの事故は防ぐことはできなかったのか。今後の放射能はどう処理するつもりなのか。そういった不安は地球の反対側でも現実でした。幸い、それを私にぶつけてくる人はいませんでした。気を遣ってくれた周りの人達に今更ながら感謝です。

震災に対するそれぞれの反応

それでも学校は白人の宣教教団によって設立された学校なので、日本に派遣されていた宣教師たちは放射能の懸念でアメリカに退避するよう命令があったことも聞こえてきました。日系人の移住地では、日本に住んでいる親戚をこちらに呼ぶべきか、という話も聞こえてきました。実際、不安に感じて引っ越してきた人もいました。

感想も人それぞれで、「悲しいことではあるけど、自然の脅威に美しさすら感じた」という意見や、「日本では起こるべくして起こったのかもしれない」という意見も直接聞きました(両方とも日本人)。被災者からしたら酷い言いようですが、外から見ている人間の意見としてご容赦ください。私は動揺はしてなかったとは思いますが、どう受け止めれば良いのかも分かっていませんでした。上のような意見を聞いて、言われたままに受け取りつつ、自分は共感すべきなのか否定すべきなのかも分かりませんでした。親しい友達にはこれをきっぱりと否定した子もいました。

ボリビアでも日本を支援しよう、という動きがあちらこちらで始まりました。日系人が多い国ですし、日本人は開発の支援を積極的にしていたので、ボリビアで日本(人)はかなり好かれていました。実際、ボリビアの街で日本文化を広めるためのイベントが開催され、そこで集めたお金は全て寄付されることになりました。私は空手を習っていたのですが、その道場もこのイベントで演舞しました。よく豊年祭や盆踊りでも演舞に招かれていたので今回も招かれた形です。

そんななか、年度末が近づいてきて、なんと私は親から「日本に帰ることになった」と言われます。私は普通にボリビアで学校を卒業し、アメリカとかの大学に進学するのだろうと思い込んでいたので、受け止めることができませんでした。ボリビアに残る。日本には帰りたくない。今の友達を離れたくない。そういう感情を抱きつつ、「もしかして、僕は東日本大震災で何かをする使命があるから、今このタイミングで日本に帰るのだろうか」と考えたのも覚えています。まあ、振り返ってみてそんな使命が本当にあったのかは分からないですけどね。

日本国内から見る3.11

日本に帰って、私は日本のインター校に入りました。そこもアメリカ人が多いミッション校でしたが、やはり多くの教員や宣教師が所属教団の命令で日本から離れたようでした。日本国内なので放射能のパニックも強かった印象です。雨が降ると「放射能が混ざってるかもしれない…」と不安がる友達もいました。日本人としての帰属意識を多少持っている僕としては少し複雑でしたね。学校では放射能のことや原子力発電所についての様々な議論が起きていました。それは卒業するまでずっと続いていたと思います。

日本に来てから結構ボランティア活動には参加してきました。津波でゴミだらけになってしまった畑を皆で綺麗にしようとしたし、奇跡の一本松は見に行ったし、直接見に行った陸前高田の絶望的な風景は僕の目にすら焼き付いている。両親も実は教団が設立した支援団体の中心地区にしばらく派遣され、東北で支援活動を行っていましたし、僕のそこで寝泊まりした時期があります。

現地の人たちは悲しみに耐えつつ立派に生き延びようとしてると感じました。ボランティアの人たちも災害を他人事として考えず、助け合いの精神をもって何かできることはないか、と活動しにきてました。東電に関わりのある人も知り合いにいましたが、汚染水の放射能をどう除去するか必死に悩みながら試行錯誤している話をしてもらったこともあります。当事者はもちろん必死に解決しようとしています。でも日本国内でも、少しでも現地から離れると、放射能のパニックがあったり、被災者への差別的な意見があったり、立場や環境によってそれぞれの意見を持っているんだなって感じました。

現在から見る3.11

いま、日本では東日本大震災ですら過去になりつつあるのが分かります。復興もかなり進んでいるようですが、震災のことを真剣に議論する国民は見かけなくなりました。政治家も世論が忘れてくれたのであまり真剣に取り組んでいるようには見えません(これは私の意見です)。でも現状を見ると大して状況は変わってないように見えます。首都でも大きな地震がいつか来ると叫ばれています。確かに原子力発電所は停止され、原子力委員会(でしたっけ)も再稼働に対しての抑止力として多少は機能していると個人的に評価はしています。でも、こんなことを話す国民はどこにいったのでしょう。大学でこのことを議論する(またはできる)大学生とはほとんど会わなかった気がします。こんな暗い話をしても迷惑がられるだけです。

電力不足が深刻になり、今では世論も動いて原子力発電所を積極的に再稼働していく方向に政府も方向転換しました。まあそれは現実的な判断だと思います。でもさ、批判を恐れずに言うけどさ、3.11と同じくらい強い地震が日本でまた起きたとして、日本はまた同じ失敗を繰り返さないと言えるだろうか?例えば、また福島第一原子力発電所で同じような地震が起きたとして、津波が来たとして、同じことが起きないと言い切れるのだろうか?首都直下地震が発生したとして、日本という国が崩壊しないと言い切れるのだろうか?他の発電所がある場所で起きたとして、私たちは福島と同じようにその地域を切り捨てるのだろうか。日本は地震大国だよね。今後同じような地震が来ないとは限らないよね?いや、普通に考えると対策すべきだよね?…やってるのかな?

外で見てきた奴が何を言う、と考える人もいるでしょう。専門家じゃない奴が何を言う、と。その通りだけどさ、外から見て、そして外国人から見て、福島原発の問題をなあなあで終わらせて、大した対策を取らずにここまで来てしまった日本の方が異常に見えてると思うんだ。なぜ国は原子力以外のエネルギー開発にも注力しなかったのか。エネルギー問題も、経済の問題も、技術力の問題も、少子化の問題も、全て大したことをしないまま進んでいる。誤魔化しながら進んでいる。難しい課題からを目を逸らし続けながら皆生きている。いまではネット上で、そうしている政治家たちへの批判的な意見は増えてきたようにも見えるけど、投票率はいまだに低いし、国民から無関心さや「投票したって何も変わらない」といった感じの絶望が感じ取れる。何もせずここまで来てしまった日本という国は、外から見るとはっきり言って異常だ。国が終わる未来しか見えてこない。国民はそれで良いのだろうか。嫌なら、なぜ行動を起こさないのか。外の人はこんな疑問を抱いてる人が多いし、そういう意見をずっと聞いてきた。

とはいえどう解決すればいいのか僕にはわからないことも言っておきます。僕は専門家ではない。偶然、外国と国内両方の視点を多少持ってしまった凡人に過ぎない。それでも、何かできないかなってずっと考え続けることくらいはします。それがその社会で生きている人間としての責任だと思うし、ある意味これが、僕が日本にこのタイミングで生きている「使命」なのでしょう。

批判したいわけじゃないんですよね。ただ、問題提起くらいは許してほしいです。日本は3.11から先に進めているという実感は僕の中にはまだありません。国として、時計の針はあの頃から止まったままではないでしょうか。「いや違う、私たちは必死に復興してきている」という人がいるのもわかってます。その人たちを冒涜しようとはしていない。でも、日本は何も乗り越えないまま次の厄災を迎えようとしてないか。その危険を感じることを、疑問を持ち続けることを、放棄してはいけないと僕は思っています。

終わりに

まあ、狭い視野を持った無知な未熟者が何か偉そうに言ってる、と思ってもらって構いません。反論や意見があればぜひコメントでもしてください。参考にしたいです。でもこの時期になったら、あの時を振り返って少し真剣な考え事をすることは決して悪いことじゃないよね、と思いたいです。震災の復興が今後も続き、被災者の傷が癒やされていくことを祈り続けます。