ヨルシカ『幻燈』:レコード派?CD派?データ派?
ヨルシカの新アルバム『幻燈』をちょっと前に買いました。買ってみて思うところがあったので一緒に考えたいと思います。アルバムの感想と、このアルバムが提示する問いについてです。
音楽を聴くとき、どの媒体で音楽を聴く?
例えばCDとかレコードとか。今の時代でもレコードにハマる若者はいるようですね。しかし今はサブスクの時代。若者の大半はサブスクで音楽を聴いていると思います。私自身、最初はCD派でしたが、面倒臭さに負けてYoutube Music Premiumに登録しました。まあCD派とか言いつつ、データを吸い上げてそれをスマホとかで再生していたので、「聴く」という点では大差ない気がします。
今の時代、音楽はイヤホンで聴くことを前提に作られることも多いようです。大半の人がイヤホンで聴くからですね。でも、私も最近初めて有名アーティストのライブを体験しましたが、楽器から直接奏でられる音楽を聴くのもやはり良いものです。改めて聴きますが、あなたは音楽をどう聴きたいですか?
データ派の定義について
書いていて気になったのが、CD派やストリーミング派を分けるものってなんだろう、という話。CDプレーヤーでCDを再生するのなら分かる。でも中身のデータを吸い上げてそれをスマホやPCで聴くのと、ストリーミングサービスを使って聴くの、どちらも本質的にはデータを再生していることに違いはない。この二つに違いはあるのでしょうか。
答えは簡単。自分にそのデータを所有し、保存する権利があるかどうか。実際、ストリーミングサービスは再生やオフライン再生はできるが、自分がデータを自由に所有することはできない。私自身、CDやDL販売のその優位性を評価していた時期が長いです。
他にも違いはある。それは、物理的なCDやジャケットの存在。電子書籍よりも物理的な本を好むのと似ていると思います。持っていたいのです。CDやその「箱」を。
でも何故でしょう?ただの入れ物に何の価値があるのでしょう?
『幻燈』の冒頭にある言葉
こんなことを考えるきっかけとなったのがヨルシカの新アルバム『幻燈』です。序文として書かれているn-bunaさんの言葉に考えさせられました。引用も交えつつ概要を話そうと思います。
最初に、音楽はデータで再生されるようになった現状に触れつつ、n-bunaさんはこう述べます。
しかし、データには一つの物として存在する、という当たり前かつ絶大な「唯一性」が欠けている側面があった。
しかし、ブロックチェーンやNFTなどの技術を通して、データもオリジナルであることが証明できる時代が来ました。
物でしか得られなかった音楽の唯一性をデータでも当たり前に、意識せずとも貴方達は手にするようになる。
この「データ(としての音楽)が唯一性を獲得する」ことについてもう少し考えていきたい。
音楽データが唯一性を獲得するとどうなるのか
ぶっちゃけ分かりません(オイw)。専門的な推測は専門家に任せるので、そういったものを読みたい方はこういった記事を読んでみてください。
でも、音楽が唯一性を獲得するというのは、簡単に言えば「コピーができない」ということですよね。それは消してしまえばもう戻らないし、その「データファイル」を通してのみ聴けるということ。CDやレコードのようになるわけです。ある意味不便ですが、これは著作権の観点では絶対に通るべき道筋です。
例えば、あるアーティストがオンラインライブを開催し、その時に演奏したライブ音楽のデータを唯一性と著作権が保証されたデータとして販売する。ライブをリアルタイムで聴いた人がそのデータを買う。その時、その人にとってその音楽データは「ただのデータ」ではないでしょう。それは「ライブにリアルタイムで参加した」思い出も付与されていますし、買った人しか聴けない(もしくは海賊版ではないと証明できる)稀少価値が保証された音楽データとなります。それこそ、私たちがCDやレコードに見出す価値と似ているものだと考えます。
あなたが初めて買ったCDは何ですか? 私はGReeeeNの「塩、コショウ」というCDアルバムです。まだ持ってます。もうあまり聴きませんし、ストリーミングサービスを通してもあまり聴きませんが、やっぱり捨てられません。そんな価値がCDにはありますよね。ジャケ買いとかで出会ったCDにも似たような価値があると思います。
『幻燈』が再現する唯一性
このアルバムは「絵」しかありません。音楽を聴くには、特定のサイトでその絵をカメラにかざす必要があります。絵が音楽を再生する媒体になっているのです。厳密にはブラウザなのですが、そのウェブサイトを消してしまうと他に聴く手段は存在しない(ストリーミングサイトでも配信されていますが、このアルバムでしか聴けない曲もあります)。実はブラウザのそのタブを消さずに残しておけば、タブを開けばその度聞けるのですが、不思議と私はそのタブを開くたびに「物理的にCDプレーヤーを起動する感覚」に陥ります。それこそ、このアルバムの狙っていることなのかもしれません。
とても独特で魅力的なコンセプトアルバムだと思います。