雑談はコーヒーと共に

ダラっと好きな事について語り合いましょう、コーヒーでも飲みながら。

花を愛でるのは生まれつき?

昨日、夕食の後に母岡が急につぶやいた言葉がある。僕の思考も共鳴したのでここで書いておこうと思う。

花を見るのが好きなのって、生まれつきなのかな?

視線の先には生け花が。教会の礼拝で用意された生け花をもらったものだ。

パート先でも定期的に生け花が置いてあるらしいが、母親いわく、「花を見ているといいなぁってなるし、見るたびにそう思う」らしい。パート先のひとときを華やかな気持ちで満たしてくれるというのだが、反応は人それぞれらしい。道端で咲いていた花をそのまま摘みとって、水入りのコップに入れて、パート先で飾る同僚もいる。

逆に、全く興味を持たない人もいる。母親には姉がいるが、幼い頃から2人の花への態度は正反対だったらしい。母親は小さい頃から外の花を愛でていたが、姉(僕にとってはおばさん)は全く興味を持ってこなかった。

だから、(生け)花が好きなのは生まれつきなのだろうか、とふと疑問に思ったようだ。

どうなのだろうか。自分にも分からない。個人的に生け花は、噛めば噛むほど味が出るような、学ばないと理解できない美意識かもしれないと思う。絵画とかも同じだ。素人からしたら、「よく分からないがなんか凄いもの」くらいのものだろう。価値を否定はしないが興味は持たない。しかし、芸術家や芸術を嗜む者からすればそれは「いいなぁ」と思うもので、定期的に味わいたいものだ。個人的には、生け花興味はあるが足を踏み入れてはおらず、その良さの理解には至っていない、という感覚である。

でも、花は普通に好きだ。季節を感じるのも好きだ。そもそも自然が好きだ。思い返せば、南米にいる時も野原に生える小さな雑草の花にすら感動をしていた。

今でも金木犀が香りが漂い始めると足を止めて見に行くし、アジサイが咲いているとその色を楽しむ。1円を放り込めば色が変わるかな、と想像したりする。桜も好きだし、大学は桜だらけなので寮生活を通して夜桜鑑賞も好きになった。夜桜の良さは最初は分からなかったが、眺めるにつれ楽しめるようになった。桜や紅葉の絶景も素晴らしいが、日常の何気ない風景に紛れる野の花も同じくらい美しく感じるのだ。

大学はお花見スポットにもなっているほど桜が多くて綺麗だ。
生まれつきなのかもしれない。自然の中で育ったりして、小さい頃に少しでも自然を楽しむ視点が与えられると、自然と好きになるのではないかとも思う。誰かに影響されて好きになる人もいるだろう。

好きな聖書箇所にこんなものがある。

「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」 ‭‭マタイによる福音書‬ ‭6:28,29‬ ‭新共同訳‬‬

水資源が豊富ではない地域で育ったイエスだが、いや、だからこそか、彼にも花を愛でる趣味はあったようだ。美しい文だ。ネガティブ思考で悲観的な自分は、このマタイ6章25節以降の聖書箇所には何度も救われた。

スマホの写真もやっぱり花の写真は多い。自分が撮るのが上手いとは全く思わないが。 これからも、普段は誰も注目しない、岩と岩の間を生え出る小さな命の美しい輝きに目を向けていきたい。いつか、生け花も深い理解を持って味わえるようになってみたいものだ。